「恥を知る」というのは日本文化の根幹にある美徳の一つだと思うが、「恥」という言葉は死語に近くなってしまったようである。
そんなことを言うのは古いというが、決してそんなことはない。人倫の大本にあるものは、ゆるがせにできるものとは違う。
我が国では「恥を知れ」「卑怯未練な振る舞いをするな」「お天道様が見ている」というのが基本的な躾け教育であったと思われるが、それだけで子は立派な成人として育った。
明治時代の親に育てられた大正生まれ世代が居なくなるにつれて、それらの美徳は失われてしまったように思う。
生き残った人たちが必死に働き、戦後の日本の復興に力を尽くしたのだと思うが、その世代の人たちは同じ日本人から戦争責任を問われ、報われることが少なかったのではなかろうか。
それを無視して顧みないことが、果たして良いといえるだろうか。
「男子の一言金鉄の如し」(男がいったん口に出した言葉は、堅く守って破ることはない。)という言葉は、我々が育った時代までは辛うじて残っていた。
親に怒られて一番こたえたのは「そんなことをして恥ずかしくないのか」といわれること。
一一親が教えるのではなく、自分で考えて反省することができるように、判断そのものまで任されたのである。
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