2020年2月26日水曜日

そのときに釣れた魚が鮎だった


日本神話を習うことがなくなったから、今の若い人は殆ど知らないが、昔の人は三韓征伐という話を読んだり聞いたりして知っていた。
韓国人も秀吉の朝鮮出兵は口にするが、それよりもずっと古い神功皇后のことは言わない。

神の予言を授かった神功皇后が、急に崩御した天皇の御子を体内に宿したまま、海の向こうの異国を平定した。記・紀は神功皇后について、神がかった伝説を遺している。

仲哀天皇と神功皇后は、ヤマトにまつろわないクマソ族を討伐するため、九州へと行幸した。香椎宮に入った神功皇后は、そこで「西にある国を攻めよ」という神のお告げを受ける。
しかし「西に国など見えない」とお告げを信じなかった仲哀天皇は、神罰によって急逝した。
遺された皇后は神託の通り、軍を率いて渡海する。
神の加護を受けた皇后の軍船は、風の神が起こす浪と水中の魚の助けによって進む。
新羅は皇后が起こした大波にのまれてしまい、新羅王は戦わずして白旗をかかげた。
さらに、高句麗と百済の王も同じく降服した。
半島に残る古墳その他から推定すると、朝鮮半島の南には日本領があったのだという説を度外視することはできない。一気に三韓征服を可能にしたこの話は、その歴史を踏まえないと理解できない。

神功皇后は、夫である仲哀天皇が崩御した後、その御子である応神天皇を生み、政事を執り行ったとされる人物である。この「神功摂政」の中でも最も大きな出来事が「三韓征伐」である。
『古事記』『日本書紀』には、皇后が軍を率いて海を渡り、古代の朝鮮半島にあった百済・新羅・高句麗の3国(三韓)を平定したことが記されている。

漢字の「」は、神功皇后がアユを釣って征韓の戦いを占ったことから「占魚」と当てたものであると言われている。

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