2015年7月1日水曜日

大切なお金をそんな呼び方していては

阿堵物(あとぶつ)という言葉がある。金銭を蔑んで呼ぶ言葉でもある。

王夷甫(おういほ)は、金銭を卑しいものとして「銭」という言葉を使ったことがなかった。
そこで、金銭に貧欲な彼の妻は、王に銭と言わせようと試み、彼が寝ているとき寝床の周りに
銭を一面にまいて王が歩けないようにしておいた。王は起きだしてその有様を見ると、すぐに
下女を呼び「阿堵物(この物)をすっかり片付けよ」と命じた。
即ちどうやっても、汚らわしいものとして「銭」という言葉は口にしなかったということで
ある。爾来、阿堵物というのは、銭の異名となった。
(註:阿堵=晋・宋時代の俗語で「これ」「この」などの意味を持つ。)

「地中にある金(gold)は、自然に現れるのを待て。」といわれる。金は、お金としても使われ
る財物でもあるが、無理やり掘り出してはならぬという戒めである。
お金というのは、そもそもそれ自体が悪いのではなく、使われ方がどうかということであろ
う。あやまたずに使うことは難しい。自らの欲望を満たすだけのものであったり、他を支配す
るためであったりして、必要以上に貯め込み滞らせると弊害が出る。
しかしながら、善であれ何であれ何事かを為すのには、良くも悪くも資金がなくては叶わぬ。
その使われ方が広く世のため人のためであれば、限りなく幸せな効果は波及する。そういう使
い方ができる高い志をもち続けられるかどうかということである。

(私の書いている小説の一部抜粋であります。)

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