2015年7月19日日曜日

抑止力を持つと戦争になるというけれど

戦争が好きだとかしたいとか思う人は殆ど皆無に近い。
殊に日本においては、アレルギー反応に近いほど、それを避けたいと思っていることに、誰もが疑いを差し挟めないであろう。

であるから、そのための抑止力は必要なのだと思う。
抑止力とは、力による侵攻を事前に躊躇わせるものということ。
「何もしないでも良い」というならそれでもいいが、現実的ではないように思える。

個別的自衛権はあるが、集団的自衛権をもつことはならぬという。
では、個別的自衛権だけで国を守ろうとしたら、現在程度の防衛力を保持するのに、最低でも年に23兆円必要だとされていることについては、目を逸らすということなのか?
同盟関係を打ち切るということならそうなる。

それは、同盟関係にある有形無形の利益を全てなくし、剥き出しで諸外国に対峙していかなければならないことと同義である。日本にそんな実力はあるまいし、そんな覚悟を持てる人だっているとは思えない。

戦争戦争と、今にもそれに突入するようなことをいうが、第二次大戦後、日本が海外に出かけて戦争できるような軍事力は持てていないのが事実ではないのか?

憲法9条があるから、日本は戦争に巻き込まれなかったというが、北方領土を侵され竹島を掠られても、それを奪い返すことをしなかったということにおいてはそうであろう。
だが、冷静に考えたとき、強大な米国の庇護があったから、一人平和を守れたという側面を見落とすわけにはいくまい。

日本は、個別的自衛権が最優先されるが、同じ敗戦国である独逸は、集団的自衛権が働いているときしか個別的自衛権が行使できないという冷徹な事実もある。

上記のようなことは、いやしくも国会議員として名をつらねている人たちが知らぬはずもないし、マスコミに携わる人たちも同様であろう。
報道の自由は声高に叫ぶが、報道しない自由のなかに、国民一人一人が知って考えねばならないことが多すぎるのではないか?

国会の質問や答弁に、迫りくる危機を懸念させる国名を挙げるわけにいかないくらいのことは、
まじめに聞いていれば理解できる。すべてオープンにはできない。
有事に対応するに、自分のことだけしか考えないですむなどということは、日常生活においてだって、助けてくれる人に対し自分勝手では済まないことを考え合わせればわかること。


報道でも、煽るような文言ばかり並べ立てないで、考えねばならない事象をミスリードすることなくきちんと提供して、皆が冷静に判断できるようにしてもらいたいものである。

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