2017年11月12日日曜日

敵も味方も判らない?

ざっとおおまかに調べてみるに、韓半島に存在した国と王朝には、文化的にも技術的にも政治的にも軍事的にも、日本を凌駕できるものはなかったのだと思う。
唯一つ自慢の種にしてそれに縋っていたのは、中国に近かったということだけであろう。
それは結果的には事大主義。大きなものに仕えるという根性が染み付いただけである。

地勢的には致し方ないにしても、国と言うなら限度はある筈が、歴史的には卑屈そのものであった。
確かに昔の中国は、周辺諸国を南蛮・北荻・西戎・東夷と蔑称しても不思議ではないほどの文化を誇っていた。中華思想というものもむべなるかな、と言えよう。
しかし、周辺諸国中で、中国から最下位の属国扱いをされていた朝鮮が何を勘違いしたのか小中華を僭上し、何の根拠もなく、海を隔て遠くにある日本を野蛮人の国と決めつけていた。

気が付いてみると、日本は朝鮮の宗主様である中国に対抗できる強大な独立国であった。
それは根拠なしに見下していたことも含め、反省改善すべきことが多々あったが、朝廷内の権力闘争に明け暮れるばかりでそれができなかった。
中国からの独立などは考えすることすらできず、迎恩門などを作り拝跪服従していた。

独立の最大の機会であった日清戦争にも、朝鮮は1兵も派遣することなく見ていただけであったが、日本が勝ったことで結ばれた下関条約により、棚ぼた式に独立できた。
もし1兵でも出して戦っていたら、その後の展開は違った筈である。
直ちに迎恩門を破壊し、独立門を建てた。現在の韓国人が日本からの独立を記念して建てたと信じてやまない門である。漢字が読めないから、礎石に書かれている説明文が理解できないし、建てられた年次から判断することもできない愚かさというよりない。

実力もないのに思いあがって下に見ていた日本からの恩恵により、恨み骨髄の中国から独立できたということは、気位だけで生きていた彼らにとっては屈辱であったろう。努力をしなかったのを棚に上げて、悔しくってたまらない。
それが反日感情の遠因として続いているように感じる。

40年弱前に韓国に旅行したことがある。日本語の話せる年配の人たちは親しみをこめて話しかけてきたし、極めて友好的であった。
それが今のように反日で染まってしまったのとは隔絶の感がある。
日本の統治下にあったときより悪いではないかという不平不満を逸らすためには、徹底して反日をするよりない。まさに王朝が替わったときに前王朝を全否定するという手法である。
国を挙げて発展するための旗印が敵国を想定することにしか知恵が及ばなかったことが哀れである。
日本は、焼け野原から復活を遂げ、現在の発展を果たすのに敵国など想定しなかった。

虎の威を借るか、安易に他国の文化・技術をパクルかで、自分たちの地道な努力の積み重ねを怠ってきたから、根本的国力はいつまでたっても育たず脆弱である。
経済的危機を囁かれることも度重なるが、支援することはどの国も躊躇う。
それはそうであろう。うまくいったときは自分の手柄、うまくいかなかったらそれは全て他人の所為として恨むとするやり方は、全世界に知れ渡ってしまった。

安全保障も経済状況も切迫しているこの期に及んでも、右顧左眄、蝙蝠外交の癖から抜け出せないから、誰からも信頼されない。
このままでは何もできないままに北朝鮮に飲み込まれ、独裁者に隷属して、またまた不平不満、恨みつらみを抱え込んで生きるしかないのかも知れない。
誰が味方なのか判断もできないのだから仕方ない。

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