2017年11月28日火曜日

古くからあるパワースポット

「上色見熊野座神社」の写真を見る機会があったが、写真だけでも神秘的過ぎます。


何と読んだら良いのか判らなかったけれど、「かみしきくまみのいますじんじゃ」と読むのだということです。
悪しき者は入れない。まるで、何かの結界 が張ってあるような神々しさです。華美ではなくて幽玄そのものです。
ここだけではなく、日本の神社はどこもそうですが、日本人は神霊の世界を感じ取る感性が備わっているから、残し続けてこられた世界なのだと感じます。
これだけ地震や颱風の被害が大きい国なのに、何故か神社の多くはその被害から免れていることも不思議です。
日本の各地には人に知られずとも、ひっそりと地域を護っている神域というのが数多存在している。それを感じ取る能力は、神に自分勝手なご利益ばかり望むことで失われてきたのではなかろうか。
チベット民族が、荒廃した道を辿り長距離の巡礼をして、雪を頂く6000メートルを超す霊山カイラス山の麓に至り、そこで両手を合わせてただ単に拝んでいる姿を映し出しているドキュメンタリーを見たことがある。
身形ははっきり言って貧しい。その彼等彼女等が、富貴を願って祈っているのではなさそうなことは確かである。
生かされてあることに感謝しているのだと思わされる清々しさしか感じられなかった。

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