2017年11月23日木曜日

日帝残滓のお世話になっているのではないのか?

どうでも好きにしてくれというニュースだが、韓国の地下鉄用語は日本語だから韓国語風に書き換えるのだという。
漢字表記のどこをどう変えるのかと思ったら、韓国風に違う漢字に変えてそれをハングル表示でということらしい。
日帝残滓は排除することで、たとえ混乱や不便が生じたとしても、全てなくしたいということらしいが、その地下鉄は運航システムまで含め、日本が作ったものなのに、地下鉄はそのまま利用するらしいから、なんとも身勝手なことである。
日本を敵視してばかりいては、技術的にも経済的にも発展できないということが理解できないらしい。
日本の側は、仲良くしようとする相手を拒むことは滅多にないのに、自らそれに反することばかり選んでいてどうするのだろう?

戦勝国側だから何をやっても良いと勘違いしているようだが、そもそも戦勝国を名乗ること自体からして狂っている。どこで誰と戦って勝ったと思ってるんだろう?
韓国(そんな国はまだなかったから)というより朝鮮が、いつ日本との独立戦争をやったというのか?朝鮮には、戦えば必ず負けるという軍の歴史しか残っていないのではないのか?
最近では、ベトナムにも負けた敗戦国である。女子供相手には残虐だったというが・・・

終戦時に連合国側にすり寄って、「何とか連合国側に入れてくれ。」と泣きついたが、そんな事実はひとつとしてないと、にべもなく厳しく断られている。竹島も日本領だと断言されているではないか。
日本のお陰が無ければ、国としての体面さえ持てない後進性を残したままだったであろうことは、
世界諸国、殊に東南アジア諸国が指摘している通りであろうに、残念ながら歴史認識をすることができる民度ではないということか。

まあ、他人が嫌がることを次々に考えて実行することにかけては天才的である。その才能だけは世界に冠たるものとして自慢できよう。
これを他人が喜ぶことを考えることにしたら、幸せなことだとは考えない。他人が幸せであることを最も嫌う民族だから仕方ない。
恩になったことは一つも記憶に残ることなく、全てが自分に都合よく回らなかったことだけを探し出しては恨みとして残す。

ハングル文字様々で、漢字は全て無くすことにした結果、韓国人は自国の古文書まで自分たちで読めなくなってしまった。
儒教に毒されて、前王朝のものは全部否定するという国柄だから、漢字で蓄積されていた文化が仮に多少あったとしても、継続されない国だからどうにもならない。別段驚くにも当たらない。

ただ、歴史を冷静に判断できるのなら、普段使っている用語の中の殆どは、日本語由来のものであるとわかる筈である。それでなくとも語彙数が少ないのだといわれる。
日本は、漢字に造語能力が有ることを駆使して、これまでにも新造漢字熟語を大量につくってきた。表現の自由度は、英語以上だといわれている。
文化・科学・社会・思想・学術は、それがあるからこそ他国の進んだものを齟齬なく受け入れ理解することができた。
そのことは、漢字文化の中国でさえ正しく理解している所であり、日本が作った新造語がなかったら、中国では会話が成り立たないのだと言って認めている。
中国の鉄鋼生産技術は日本が手取り足取り教えてくれたものであり、新幹線もそうである。経済的発展も日本のおかげであり、日本の部品がなかったら製造業も成り立たない。日本製品の不買運動のような恩を仇で返すようなことはすべきではないと、中国内の大新聞でも言っている。
判る人は解っているのである。

通貨スワップもそうである。「必要ない。」と言って韓国側が断ったのにも拘わらず、今頃になってなんだかんだ言って上から目線で再締結をしようと画策しているようである。
日本との通貨スワップが締結されていたことで得られていた信用が、韓国経済にどれほど寄与していたかということが未だに理解できていないらしいが、目先に迫ったドル決済が厳しいらしい。
日本円は基軸通貨である。何を勘違いしているのか、日本側を助けることになるから、困っているのは韓国の側なのに、日韓の通貨スワップは結ばない方が良いと思っている韓国人が多いのだという。
しかも、さんざん恩義に与かっていながら「日本は韓国を一度も助けてくれたことがない。」と平気で嘯く。
そんなことを言ったら、韓国が日本のためになるようなことをしたことは皆無なのではないのか。
恩を仇で返すことにばかり国を挙げて血道をあげる反日行動を繰り返すから、諸外国から嫌われもし、信用されないのだと気づく能力すらない。
日本側も何のメリットもない韓国との通貨スワップは反対だという人が多い。
もしもそれを結んだら、内閣支持率は急落するであろうといわれるくらいの国民感情となっているらしい。

結果として、いつもいつも悪い方を選んでしまうというのは民族性なのだろうか?
自慢してやまないハングル文字も、最近の研究によると独自の発明ではなく、パスパ文字のパクリなのではないのかと言われるが、常に自分たちが努力して作ったものでないものに浸りきって、他からの文化や技術を有り難く使わせてもらっているのだという感謝がないから、何にでも文句をつけるようになるのであろう。一番嫌われるパターンである。

他を貶めて自分が優位になるものなぞ一つもない。相対的にも絶対的にもそれが真理なのだが、そういうことが全く持って理解できない。
対等という概念はいつまでたっても育たないから、全てに上下関係をつくろうとする。勿論、自分が上だと根拠もなく思い込む。
実力がともなっていればまだしも、妄想が思い込みを作るのだからどうにも始末が悪い。
なぜそうなるかと言えば、下の者は上の者の言うことを、無理なことでも絶対的に聞かなければならないとする、長きにわたる朝鮮王朝の身分制度によって身に染みついてしまった民度意識だからである。

近代的な契約概念は根本的に理解できず、約束は反故にしても恥ではないらしいのも困ったものである。
それでも、まだまだ未開なのだと、暖かく見てあげるしかないのか?

いつまでもつきまとってシツコク絡む、粗探しをする、ということを英語では nagging というが、これは病的なものだから治らない。
相手が嫌がることに快感を覚えるという根治不可能な病に罹患しているのだから、根拠のないことで悪口を言われても無視して反応しない方が良いということになる。
完全に無視して放置するしか治療法がない。
今まで、日本側の我慢で成り立っているのだと思うが、堪忍袋の緒は、それほど丈夫ではない。
無視されることで、彼らのエネルギーは衰える。
しかしそれをしているのには困ったことが一つある。
嘘を言い続けているうちに、それが真実だと思い込む精神構造があるからである。関わりをもつのが難しい。

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