2017年11月8日水曜日

慰安婦を晩餐会に招待とは恐れ入った

韓国でのトランプ大統領の晩餐会に、慰安婦が招待されて出席し、そこで饗される料理のメニューには竹島近辺のエビが含まれているのだという。
あくまで日本に嫌がらせをしたいらしい。
国防の一大事というときに、頼りとなる日本をわざわざ敵視して、一体何を考えているのだろう。
アメリカがウンザリしていることに気が付きもしないのだろうか?
昔から国際条約というものを理解できない国であるから、今更驚くにはあたらないが、感覚が根底からずれているとしか思えない。

日本の戦後には一歩間違えば、日本は韓国に侵略され、対馬島民の命の保証もない緊迫した歴史がある。
終戦直後で軍は解体されていて、 まだ自衛隊もない時に、李承晩によって蹂躙されかけた忌まわしいとしかいいようのない歴史である。
 竹島は侵略されたが住民はいなかったので虐殺はされなかったが、多数の漁師たちが捕らわれ40数人が殺されたが、竹島は紛れもない日本領である。
なにをトチ狂ったのか、李承晩が対馬侵略のため韓国軍を南下させたことから、がら空きになった背後を北朝鮮が攻めて朝鮮戦争が始まってなければ、一方的に対馬は侵略され、多くの島民が虐殺され、違法に占領されていたかも知れない。

朝鮮戦争の原因は、北朝鮮の一方的な侵略では無かった。
いつもの例で、正常な判断ができない国の浅薄な考えから、対馬・九州を侵略しようとしていた韓国が軍を釜山に集結し北の守りが手薄になったところを北に攻められた。
朝鮮戦争の元凶は、それこそ韓国(当時は李承晩政権)の南侵領土拡大策の野望から起こった。

1947年以降、ポツダム宣言を受けたサンフランシスコ講和条約草案(特に日本の小島嶼の領有権に関する条項)過程で、韓国の李承晩政権は活発に米議会でのロビー活動を展開し、米国政府に対しては(サンフランシスコ講和条約草案において)、再三に亘って執拗に対馬、竹島を日本領から外すように要求していた。
しかし、米国国務省は、その韓国政府の要求を「ラスク書簡」にもあきらかなように、再三にわたって断固として拒絶していた。

そんな中にもかかわらず、19501月、李承晩は正月の年頭記者会見で、対馬、竹島の領土主張をし、「連合軍の一員(朝鮮進駐軍)」ということを理由もなく僭上して、朝鮮半島南部での大演習を装い対馬、九州北部への侵攻計画を実行に移し始めた。

察知したマッカーサーは激怒して李承晩政権に警告を発した。「もし韓国が、国連軍による占領統治中の地域に軍事進駐するなら在韓米軍は朝鮮半島から引き揚げる。」と。
李承晩は「北の脅威」を「同胞」として甘く見ていて、その警告を無視し、韓国軍主力を朝鮮半島南部に大移動させた。
激怒したのはマッカーサーだけではなかった。それまでの韓国政府(李承晩政権)の執拗な、対馬、竹島に関する要求を知っていた国務省も激怒した。
それで、マッカーサーの警告を後押しする意味でアチソン国務長官は、「朝鮮半島は米国の守備範囲でない。」旨の声明を出した。

韓国軍主力の殆どが半島南部に移動していて38度線の韓国軍側防御が手薄になっていたことに加えて、米国国務省の「韓国は守備範囲でない。」という声明を聞いた北朝鮮政府とスターリンは大喜びして南侵策を決行することにした。
そもそも第二次世界大戦終了間際に日ソ不可侵条約を破ってまでソ連が参戦したのは、海への出口となる朝鮮半島を支配したかったからである。
それを拒む米国と連合国の間で38度線を境に分断するという裏取引がなされていたという。
そんな国際情勢も読めないで動いた李承晩支配下の韓国軍は連戦連敗、ソウルは4日で陥落し、とうとう釜山まで追い詰められた。
恥知らずにも李承晩は、日本への亡命を画策したと言われている。

そんな中で、日本軍で将軍にまでなっていた「白善燁」と「金錫源」の2将軍と、日本兵として訓練されていた経験を持つ兵だけで編成された軍の戦いぶりと進言された作戦を、日本により訓練を受けた軍ならばと信じた米軍により、かろうじて戦局は好転し、38度線まで押し戻すことができた。
その時、米軍の補給物資を海上から輸送できたのは、朝鮮半島の海岸線に敷設された機雷を、日本が掃海したお陰だともいわれる。

そんな過去の事実も忘れて、自分中心の主張しか繰り返さないようでは、いずれ世界から見放され、北朝鮮に飲み込まれるしかあるまい。
それでも良いではないかと言う人が増えていることも知った方が良い。
韓国が独力で北朝鮮と戦って勝てるはずは全くないのに、反日だの反米デモなどに力を入れているということは、北朝鮮による赤化を韓国人が望んでいるということなのだろうか?
最悪なときに最悪な選択をするのが国民性なのだと言われているが・・・
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私が書いた小説 
ある日突然のように、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進めて、4月7日、第八部までを書き上げました。この続きがあるのかどうか、今のところわかりません。

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