2017年11月26日日曜日

求めるところは高い方がよい

最近、ハイドンのピアノソナタ第49番第二楽章が好きになってしまっている。

息子のところに年配のご夫人がその曲のレッスンに来るようになって半年ほどになるが、この曲を先生のような音色、先生のような演奏で弾きたいと熱心である。
来れば途中で息抜きにお茶を飲むくらいで、4~5時間はいつも打ち込んでいく。
親子以上の年齢差はあると思うが、素直に言うことを聞いて取り組んでいるのを隣の部屋で聴いていて頭が下がる。

ピアニッシモと言えども、鍵盤は当然のことながら下まできちんと沈める。
だから息子のピアノは鍵盤を弾くスピードに反応するように調律されている。そういうピアノに仕上がっていないと、微妙な表現はできないのだと彼は言っている。

それにしても教える方も教わる側も、よく集中力が持続できるものだと感心する。
ここにきて、粒の揃った澄んで伸びのある音が出てくるようになってきたと感じる。
求めるものがあるとそれができるものなのだと、改めて感じさせられる。
自分のこれまでに、そこまで打ち込めるものが果たしてあっただろうかと振り返ってみると、甚だ心もとない。そこそこ頑張ってきた人生だったと自分では思うのだけれど・・・

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