2013年1月20日日曜日

憚るということ


 新年会に行っても、未だ復興が進まない東日本大震災の被害者のことを思うと、手放しでおめでとうはいい合えない。

 昨晩、会合があって集まった社長たちは、それぞれの会社やその社員及び関係者、大事なお得意様の被害状況の把握と対応に、自分のことをさておいてやらなくてはならないことがまだ沢山あるからです。 

 それでも中の一人がポツリと言いました。

仙台に嫁いだ姪に、あのとき数日過ぎてようやく連絡がとれた。電話が通じている所まで一山歩いて越えて心配ないと連絡してきたが、様子を聞いてみれば心配ないどころの状況ではなかったのだと。

 

限られた場所と本人に直接であれば、「本当によかった。」と心から言えますが、大勢の前でそれを言うのは、関係者が助からなかった人もいるから憚られる。

 

TVの取材報道を見ていて思うのだが、疲れきった被災者にマイクを向けて「今のお気持ちは?」だとか「今、何が欲しいですか?」などと無遠慮にほざいている人が中にはいるが、憚るということが意識のなかにないのだろうか?

頑張っている人に「頑張って下さい。」と、かける言葉が励ましになるとでも思っているのだろうか?

スタジオでこうだああだと文句ばかり言っているコメンテーターが中にはいるが、励まし元気づけることが使命感に突き動かされて働いている人たちにとってどんなに力になるか、ということに思いが至らないのだろうか?

憚るということは、相手に何をしてあげるのが一番よいのかということにも繋がる。
腹立たしいことが多いから、ニュースはもっぱら文字情報に切り替えたという友人もいる。

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