2013年1月10日木曜日

貞操なんてことは古いことなのだろうか


正月にTVを見ていた時、出演していた若い女性が四つ股をかけていて、そのいずれもから経済的援助を受けているから、働くなんてことは全く考えの中にないのだと臆面もなく言い放って、いささかも恥じている様子がないのに仰天しました。

他に出ていた若い男も、似たようなもんでした。何が悪いんだというだけで、何も深くは考えていない様子でした。

それをするのを娼婦と呼び、限られた相手だけであれば妾であり、日陰の身であることを自らに課さねばならなかったのです。

古いやつだとお思いでしょうが、自分の相手に対する誠意の顕れは、自らがこれだけは律しているのだという決意のほど、最後の砦ともいうようなものなのだと私は思っていました。襟持しなくてはならないものというのが、人にはある。

男だってそれから逃れる理屈は立ちません。

よしんば浮気をしても、最後まで知られないように隠し通すことが、ウソにならないウソなのだと思えるのです。公言して憚らないようなものではない筈です。

西洋においては、中世に男女、とりわけ女性に対して極めて強い貞操観念が求められていました。

原罪の根源が「イブの犯した罪=女性の「性」」とされ、夫婦の営みそのものが宗教による監視の対象とされていました。女性に対して強い貞操観念を求める動きは近代になっても形を変えて継承され、定着していました。

古代の日本では原則的には対偶婚・一夫一妻でありましたが、儒教における姦通批難にも関わらず、男女ともに貞操観念が希薄でした。

「家」の存続・「家」と「家」の結びつきを口実として妻には夫の跡継ぎを生むことが義務付けられ、妻の姦通には重い罰が与えられる一方、夫の性は自由で側室を持ったり買春を行うことも後継者を得ることを目的として許容されるようになってもいました。

武家法は姦通に対する刑罰が重く、『御成敗式目』では姦夫姦婦ともに所領の半分が没収されるか流罪、『塵芥集』では死刑、『公事方御定書』では姦通した妻は死罪とされただけでなく相手の男を夫が自分の妻ごと殺害する「妻敵討」が合法化されていて、人妻との間の艶書(恋文)をやり取りでさえも重罪とされていました。

大正期に女性解放の声が高まると、貞操観念への批判が高まり、貞操観念を許容する女性活動家の間でも、夫の貞操義務を求める意見が出され、夫の貞操義務の存在を認める判断を下されるようになりました。

第二次世界大戦後の民法改正で貞操義務が夫婦ともに平等にあることが確認され、刑法改正で姦通罪が廃止された。

まあ、世間様の常識というものが変って行き、何をするのも個人の自由として咎められないということになるのであれば、それはそれで致し方ないことになりますが、民度としてはいかがなものかと思うのであります。

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