2013年1月31日木曜日

体罰


体罰についての問題が次々に問題化されています。

アメとムチ。教育というものは、ある種の強制でありますが、どこまでが許容範囲で、どのように行うのが理想的なのかは、確立されていない。

体罰がいいか悪いかということだけを捉えれば、ない方がいいに決まっている。

 

ただ、議論の仕方を聞いていると、これでこの先無くなるとは思えない。

 

最も無責任だと思える意見は「言えばわかるのだから・・・」というものだと思えてならない。

スポーツに限らず、「言えばわかる」というのであれば、世の中に犯罪は起こらない、ということになる。泥棒も交通違反も暴行事件も皆無になる筈。

でも、それらには強烈な罰則が科せられても尚、無くなりはしない。

 

「解る」と、「できる」「しない」は、別のものなのだと思う。

 

ルールを互いが守るということは、全体のバランスが取れたルール作りと、如何にしてそれを順守するシステムを構築し徹底していくかということであろうから、簡単には行くまいが、人類の知恵を絞らねばならないことであることは確かです。

 

問題が起こったとき、その一部分だけを取り上げて、耳触りのいい事だけを言い合うのではなく、全体像を検討しなくてはならないのだと思うが、人類誕生以来の歴史を積み重ねてなお、未だに解決できていない大命題なのです。

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