2013年2月26日火曜日

挨拶をしあわなくなった


挨拶を辞書で引くと、

挨拶の「挨」は押す、「拶」は迫る意で、本来、禅家で門下の僧に押し問答して、その悟りの深浅を試すこと。と出ています。

「あい」には、心を開く、「さつ」には、その心に近づくという意味もあるのだとか。

 

「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」

こんな基本的で簡単な挨拶をすることは、人間関係では当たり前のことだと思うのですが、それがそうでもないらしいのです。

 

会社や近所や知り合いなど、基盤を同じにしているところはまだしも、面識があっても生活に関わりがないとなると、すれ違っても知らん顔で通り過ぎるということが珍しくもなくなりました。

「知らない人から声をかけられても、相手をしては駄目よ。」と言って育てられた、安心できない社会が現実としてあるから仕方ないのかもしれませんが、他人から信用される第一歩は、挨拶ができるかどうかだという現実も一方にあることを思うと、人としての広がりを安全に保てる社会をどうしたら良いものかと考えてしまうのです。

「あいつは、挨拶もできない奴だ。」というのは、人間性を信頼されない人の代名詞ですらあります。

 

私の住むマンションでは、エントランスや駐車場で顔を合わせても、殆どの人たちは挨拶を交わしません。私の方から挨拶しても、いやいや挨拶を返す何人かを除いて、不思議そうな顔をしてソッポを向く人さえいます。

人間関係が希薄で殺伐とした世の中は、こんなところから始まるのかも知れません。

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