2013年7月27日土曜日

持っていないものは与えられないから


今を去ること50数年前、中学校を卒業する時、担任の先生が最後のホームルームの時間に言った言葉を、今も覚えています。

「君たちは、人の為になろうと思っているかも知れないが、その前に自分が満たされるように努力しなさい。自分に力がなかったら、人の為に何かすることなどできないのだから、まず自分のことを考えなさい。」

まだみんな純粋だったし理想に燃えている頃だったから、随分ひどい餞の言葉だと思ったものでした。

 

長じてから、自己研鑽のために読んだ成功法則の本にも、「まずは与えなさい」
「自分が欲しいと思うことを先に与えなさい」と書かれているのを読んだものです。

これは素敵な考え方ですし、非常に尊いことだと思います。
確かに、与えた後の隙間には、与えた以上のものが流れ込んできて、それに伴い器も大きくなるというのが真理ではありましょう。
しかし、ここで一つ注意しなければいけないことがあります。
多くの方が陥る「罠」があるのです。
それは、自分が持ってもいないのに、周りの人に与えることは出来ないということです。それを無理すれば、自己も破滅することにもなりかねません。

何でもかんでも自分だけで抱え込むばかりでは器は大きくならないにしても、自分の持っている器が空っぽでは、どうにもなりません。

どうしたって自分のことで精一杯になりますから、周りの人に与えるどころではないのです。

それでも、善なる日本人の多くは、自分をどこか犠牲にして、「与えよう、与えよう」と頑張ってしまいがちになります。

そうなると、頑張っても頑張っても「満たされない虚しさ」を、心のどこかで感じてしまいます。
頑張るほどに満たされない」「与えるほどに満たされない」という状態は、善なる心を苦しめます。

自分の器がいっぱいの状態だと、周りの人に「与えたい!」という気持ちが自然に湧いてくるのが人というものです。
情けは他人の為ならず。周りの人に与えたものは、巡り巡って自分のところにも返ってきます。
そのようにしてプラスの循環が生まれてくるのですから、先ず、与えられるものを作るということが必要だということになってきます。そこから始まります。

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