「親の意見とナスビの花は、千に一つも無駄がない。」と言われるが、ナスだって栄養分がないと花は咲いても結実しないから、無駄花というのはあります。
親の意見における栄養って何なのだろう?
親といえど自らの人格を高め、信念をもって教え導くということが大事なのは勿論であろうが、つまるところは責任をとるという姿勢があるかないかなのだと思う。
子が可愛くない親はいないし、よかれと思ってやることが殆どなのであろうけれど、教育書やら識者といわれる人がとやかくいうことに引きずられすぎていないだろうか。
自分で考える、自分が感じる、そういうことなくして誰それがそう言っているからと、鵜呑みの行動っていうのは底が浅いから見透かされる。
一時の感情からではなく子のためを思ってしたことであれば、いずれ理解されることが多いのであるから、勇気と信念に基づいて動けばよいのだと思う。
先生もそうだが、まわりの顔色を窺っての行動は、子供から信用されない。
子供というのは、想像以上に物事がわかっているし、したたかなものなのだと認識した方がよいのだと思う。
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