2013年7月7日日曜日

自分は大丈夫と思っていても


おれおれ詐欺は、年配者が被害に会うというから解らなくはないけれど、自分は絶対詐欺には引っかからないと思っている人が、意外や意外、被害を蒙ることが多いのだとか。

なぜ、聡明であり知的であると自信を持っている人が、詐欺やカルトに簡単に操作されてしまうのでしょうか?

なぜ、彼らは洗脳されていることに、いつまでも気付かないのでしょうか?

自分に自信があるあまり、「自ら進んでその道を選んだのであり、判断に間違いはない。」と思い込んでいるということなのでしょうが、理論的にものを考えるという思考パターンは、その上を行く手法に対しては及ばないことが出てくるからということなのかも知れません。

論理的思考だけでなく、動物的勘の鋭い人は、直感的に嗅ぎ分けてしまうようです。

極めて当然のことですが、人は誰でも自分が一番大事です。

しかしながら、それが事故中心的になりすぎると、まわりへの配慮がおざなりになって、共感を得られる言動から遠ざかる。
仕事で人を動かすことがある人は、そのあたりを考えないと、ものごとはうまく運ばない。わかる人には判ってしまうということでもありますが、その解るひとというのが想像以上に多いのだということでもあります。


人間が自分のことを第一に考えてしまうのは、刻み込まれた本能なのであって、どんな人格者であっても例外ではありません。その上で、自分ばかりではないというバランスを如何に涵養していくかということでありましょう。

人を動かしたりする必要があるときは、その人のためになるような提案
であることが大原則になるわけです。
それをすることは、自分のためになる、と心から信じたとき人は行動を起こし、
物を買ったり説得に応じたりするのだと思うのです。

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