2013年7月9日火曜日

蕎麦ツウと聞くと


ソバツウと言われる人の薀蓄を聞かされると、「そうかなあ?」と思うことが多々あります。

 かくいう私は、戦後まもなくのやんごとなきというよりは破れ家の、隙間風が吹き込む囲炉裏端で、よく蕎麦を食べた経験を持つ者です。

 

粗朶を燃やした炎で炙って茶碗を温めた中に蕎麦粉を入れ、自在鍵に吊るされ煤で真っ黒になった鉄瓶から湯をそそぎ、素早くしかも力強くかきまわして固めた蕎麦カキに、タマリ醤油をつけた(表面につくだけで中まで味が浸みない)だけで食べたものでした。

いうなれば、ソバの素材そのもので食べていたということになります。

 

私は、いくつかの食べられない食べ物(平たくいうとキライ)を除いて、基本的には美味い不味いは言いません。口にするのものは全て、滅法美味いと思っているからです。

 

昔、米不足のとき、緊急で輸入したタイ米をまずいまずいと言う人が多かったですが、私は「美味いね。」と言って食べていました。

食べ物を口にできずひもじい思いを経験したことがなければ、口にはいったものを有難く噛み締めて、滲み出てくる美味さを感じることはできないんじゃないかと思っております。

 

巷間ソバ好きを自認する人が多い。

「ソバカキって好き?」と聞くと「大好きだ。」との返事が返ってくるが、それは大抵だし汁に沈んだソバかきのこと。

そうじゃなくって、私の言うような蕎麦粉をお湯で掻いただけのものを、一口や二口でなく、腹いっぱいになるまで食べられたら、本当のソバ好きといえるのではないかと思っております。

 

このところ、昼食は蕎麦を手繰りに行くことが多い。(蕎麦は手繰るという。)それもモリソバを。

蕎麦打ちを自慢するような店ではないが、顔見知りになった店主は道で行き会っても愛想がいい。

ま、そんなわけで蕎麦通ってわけじゃないから、どこがここがと言わず、奥歯でかみしめて美味しく頂戴しております。

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