2013年7月26日金曜日

可能性を狭める失敗への恐れ


もう記憶にも残っていないことでしょうが、誰であっても、小さな頃は失敗を失敗だと思うこともなく、何に対しても恐れずに立ち向かっていた時期があった筈です。

そもそもが、なにを失敗とするのかの意識もなかったのだと思います。

赤ちゃんは、どうして立ち上がることができるようになったのでしょう?

何度転んでも、何度痛い思いをしても、物に掴まりながらでも、それが無様だと思うこともなく、立って歩くことができ、やがて走ることができるようになるまで続けることで、いつの間にかいろんなことを可能にする結果を得ました。

そう思っていたかどうかは別にして、周りの思惑などに捉われることなく、できる 可能性だけを信じて行動していたのだと思うのです。
なぜできると信じたのかは判りませんが、信じた通りのものになりました。

段々経験を積むことに伴い、知恵がついてきて要領よくやる方法を覚えると共に、常識という枠をいつの間にか纏うようになり、結果的に自らの頭の中で制約を創り出してしまいました。
少ない情報量の中で、頭で考えるようになり、他の可能性を考えることなく「そんな馬鹿な」ということにして、自分の可能性を大きく狭めてしまうことが多くなりました。

失敗を重ねるほど、新たな可能性を探ることから遠ざかり、行動しないで済む理由を探すようになりました。やらなければ失敗はないからです。

探さねばならないのは別の物であり、時には非科学的とされるものであることさえあります。
まだまだ理解が及ばない世界があるのだと謙虚になれば、できることが沢山ありそうです。要は、小さい成功の積み重ねということになります。

「何かがおかしい」という違和感があったら、それは無限の可能性を秘める「自分の内なる神」からの声かもしれないのです。
自分の持っている無限大の可能性を信じきることが大事だと思うのです。

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