2016年10月20日木曜日

「もったいない」が世界に

「もったいない」という意識は、いつの頃から情勢されてきたのだろう?
日本が発展してきたことの大元に、これがあるように感じてしまう。

古くは遣隋使・遣唐使の時代、近くは維新後の西洋文明の取り入れと、他国から多くを学んだが、そのいずれの時代でも、やみくもなんでもかんでも取り入れたのではなく、確実に取捨選択をしている。しかも、文物を単に模倣したりパクって終わりではない。
必ずそこに工夫改善が加わり、当初に入ってきたものより良いものにして馴染ませてしまう。
鉄砲しかり、時計しかり、文字・思想・宗教しかりであろう。

入ってくるものが少なければ、大事にするし、壊れれば修理して使うということだから、そこで工夫や改善がなされ、その延長線上にはより良いものを創造してしまう技術に結びつく。

日本列島の特性として、地震・颱風などの天災が多いが、それら自然の力を捻じ伏せるという方向には意識が向かわず、それらと共生しようとしたことからも、工夫改善はなされたし、皆で協力してことにあたろうとしたことも、与って大きい。

江戸時代にしてすでに識字率が7割をこえていたともいわれ、これはその時代の世界に例をみない教育水準であった。取捨選択できる能力は、こんなところにもありそうである。
「もったいない」と教育を重視していたのは、どんなことから始まったのだろうと思う。

我が事のみを考えないとする長い歴史は、気が付けばノーベル賞などで評価される下地を醸成していたのだとも感じる。


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