2016年10月31日月曜日

文化文明は発展させてこその価値

他国の文化を 何でも「我が国発祥」と主張する国がある。
日本の武道(侍・剣道・柔道・日本刀・忍者)、茶道、花見(ソメイヨシノは改良主だから自生地はない)、四大文明、キリスト生誕地、漢字、などなど何でもそうだという。
殆どが妄想であって、根拠も証拠もない。
笑い飛ばされて終わりだし、大して腹も立たない。

仮に発祥がそうであったとしても、どうしてそれを今に至るも発展進化させることができなかったのか、ということが問題なのではないのか?
有益なものを生活に役立てることができなかったら意味がない。

我が国は、外国から渡ってきたものは誰がいつ頃齎したものだということを隠しはしないし、中国料理・フランス料理、イタリア料理などのように頭にどこのものかわかる表示をする。
文字だって漢字と言うし、シナそば・挑戦漬け・インドカレーの如くである。

日本に渡ってきた文化文明は、有益だと思えば基礎から研究するし、いままでにもあったものと融合させて独自にもっと優れたものとして活用できるように努力する。

寒冷地には不向きだった米も品種改良して収穫が可能になるようにしたから、併合時に朝鮮半島の米作が大増産されるようになった。
最近では「ネリカ米」と呼ばれる乾燥に強い品種を作り出し、アフリカ諸国の食糧問題に貢献している。
ことほど左様に、それらは近代産業に関連すること全てに渡っている。骨身を惜しまず地道に努力し続ける。

起源説など唱えている暇があったら、躊躇いもなく先の方に目を向ける。
パクルことしかできないような情けないことをしないのが、民族の誇りでもある。

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