2016年10月25日火曜日

一面だけとらえた解説では通用しなくなってきた

機関誌であるなら何を書いても勝手だが、一般の新聞などの報道は公平さを求められる。
旗幟を鮮明にして、どういう傾向の内容であるか宣言したほうがよさそうな新聞もあるが、簡単にそうはいくまい。
そこで、自分に都合が良いようにつぎはぎした記事というのが時々生まれる。
しかし、賢明な読者からは「リテラ記事」とすぐに見透かされる。見くびってはいけません。

リテラシー(英: literacy)とは、原義では「読解記述力」を指し、転じて現代では「( 何らかのカタチで表現されたものを)適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する」 という意味に使われるようになった。

読む・聞くだけで、自分の意見を述べる場所がなかった多くの人たちが、ネットというツールを得た。
それによって自分の意見を発表するようになったが、元記事の意に反する書き込みを「ネトウヨ」と決めつけ、躍起になって封じ込めようとしたが、読む側にしてみれば多様な意見を目にするわけだから、まともな意見であればどちらが良いかは理解する。
思考能力が高まって、取捨選択することができるようになってきているということである。

左翼でも右翼でもまともなことをいうのならよいが、レッテル貼りをして封じ込めようとするのには無理な時代になったということか。
ミスリードは難しい。

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