2016年10月11日火曜日

民主主義だからということで違法が通るということではないと思うが

沖縄の通学路の橋の上に車を何台も放置して、地元住民が困っているのだという。
生活道路である村道に検問所を設け、地元民も通さない場所もあるという。
単純に考えて、警察が撤去してしまえば済むと思うのだが、そうしてはいないようです。

本土から入っている活動家の、反対運動として道路を封鎖しているらしいのだが、地方警察の行政上のトップは知事であるから、その指揮命令がなければ、警察も動けないというが、違法は違法である。

彼らに質問すると、「民主主義上のことだ。」と答えるらしいが、民主主義が少数意見の尊重ということは言っても、不法行為を許容しているわけではあるまい。

民主主義(デモクラシー)という解っているようで解らないことばがある。
ギリシャ語のデーモクラティアに由来するといわれるが、ギリシャ人が、デーモクラティアという名前で何を観念していたかというのが原点としてとらえねばならないように思う。
文字通りに受け取れば、デーモス(民衆)のクラティア(権力)を意味し、権力の主体が民衆であることを表す概念であったということだろうが、権力というものは、それを所有するものと行使するものとの間で区別はない。
所有している者が行使するというのが当たり前のことで、それゆえ、権力の主体である民衆がその権力の行使を代理人に委任するということは考えられなかった。
これは、我々現代人の感覚からすれば、代表制民主主議といわれ、ごく当然のことと考えられているが、ギリシャ人にとっては、権力の行使を委任するということは矛盾以外の何者でもなかった。(直接民主主義)
権力の行使を少数の人々に委任すれば、それは最早デーモクラティアではなく、貴族性へ移行しているのだと考えられた。
では、ギリシャにおけるデモクラシーはどのように実践されていたかということになる。
アテナイを典型とするギリシャのポリス社会は、自由な市民から構成されていた。
そうした市民たちの自由な立場を支えたのが奴隷や女性たちであったということを割り引いて考えれば、彼らは、政治的立場においては完全に平等であったということが重要なポイントである。ポリス社会は一枚岩の社会ではなく、内部に経済格差や社会的不平等を抱えていたが、こと政治に関しては、すべての(自由)人が平等に取り扱われた。これをギリシャ人はイソノミア(政治的平等)と呼んだ。
このイソノミアこそが、ギリシャの民主主義のエッセンスであり、ギリシャの民主主義は民衆の政治的平等を最大の特徴としていた。
権利を行使できるのは、国防のために命を懸ける人たちを抜きにすることはできなくなるにきまっているから、彼らにも選挙権が与えられたということになる。
公平性はそうして担保されることになっていくのは、歴史の趨勢であろう。
即ち、民主主義を支えるのは国防に関わる人の権利ということになる。
それが、男女問わず全国民の権利となってきたということだろうと思うが、権利が天与のものだといいはるのなら、義務も天与のものだと理解すべきである。
長い歴史の中で育まれてきたものは、当然のことながら負っている義務も大きいということになる。


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