2014年3月16日日曜日

誰も知らないということはないから


天をも恐れぬ、身勝手とさえいえるような事件が次々起こって、もって行き場のない気がたまってしまっています。

自らを戒める規範というのは、なくなってしまったのでしょうか。

 

中国に四知という古い話があります。

話しのあらましをかいつまんでいうと、

ある深夜に賄賂をを届けた男がいました。「まあまあ夜遅くて誰も見ていないし知る人もいませんから、そう固いことを言わないで懐に収めて下さい。」と言ったのに対して、楊震(ようしん)という人は、言いました。「天知る地知る我知る人知る」
「誰も知るものがいないなんてとんでもないこと。天が知っている。地が知っている。私が知っているし、君もが知っているではないか。」これを四知といいます。
「天網恢恢疎にして漏らさず」ということでもありましょうか。

 

ところで、天というのは一体なんなのでしょうか?

単に天空、空のことをいっているのではなく、神様のことを指していると考えるのが普通です。

「お天道様はお見通しだ」というときのようにです。

悪事は、いずれ自分でそのツケを払うことになるのを知らないのだろうか。

 

為政者が説く天というのは、民意ということであることもあります。

無知蒙昧で、何の取り柄もない輩の集まりだからと軽んじていても、自ずからなるバランスがそこに働いていることを知らねばならない。

それに従って徳政を敷かないと、王というのは徳が高いことによって天から選ばれたのだから、徳を失えば斃れるしかない。ということになるわけです。

 

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