2014年3月8日土曜日

赤牛の角を貯める


 なに、そりゃ?「角を矯めて牛を殺す」っていう諺通り、「矯めるじゃないのか?」って?

 「助長」ってのだって「全然」ってのだって間違った使い方が多い。怪しからん!

 いや、お叱りはご尤もですが、これは違うお話しなのでございます。

 

 ときどき美味い魚を食べさせてくれる船主さんが仰るのに、マグロを釣るときの疑似餌に牛の角、それも赤牛の角を削って作ったものを使うと、食いつきがよくて良く釣れるのだそうです。

(誰にも知られたくないノウハウだと言っていましたが・・・)

 

 海に牛なんぞいないし、ましてやそれが餌になるなんてことをマグロだって思うはずがないから、不思議なのであります。

 ところが、その牛の角が"モウ"なかなか手に入らない。

ですから、手に入ったら貯めておかねばならないということになるわけです。

 

 誰ですかそこで「海にはウミウシってのがいるぜ。」なんていってる人は。

 

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物事が成功するとき、自分の力だけではないものが働いていることを否定できる人はいないと思います。

いわゆる運といわれるものの加護のことです。

 

自分は特別な才能・能力をもっているのに、いまいち正当な評価が得られていないと思っている人は多いのに、何故なのでしょう?

自分一人だけではなんともならないものがあります。

 

「頭で解った」或いは「解ったつもりでいる」のと、どんなに小さくとも実際に体感して得ることとには、大きな差があるものです。体を動かさないと、運も動いてこない。

偉大なる何か(神様とも呼ばれます)から齎される気づきというのは、自分の単なる思いつきと違って、温かく快いものだから、違いが解るといわれますから、そういうものだと感じられたら動いてみることです。そこから開けていく。

それは、声であったり、文字であったり、ヒラメキであったりします。

 

気づけるようになるのに、できることは有ります。何でもそうですが、やってみると今まで見えなかったものが見え、解らなかったことが解ってくるものです。早くやれば良かったと、やった人は言います。

 

自分で墓石クリーニングをすると良い。
 

 

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