2014年3月26日水曜日

「半八重枝垂れ紅彼岸桜」という珍しい種類の桜


現在の地名でいうと、長野県飯田市座光寺となりますが、この地には「元善光寺」と呼ばれて長野の善光寺にご本尊様が移される前の、知る人ぞ知る古刹があります。

長野の善光寺だけに参拝するのは「片参り」ということになるというので、小さなお寺なのですが善男善女のお参りが絶えません。

 

この元善光寺のすぐ近くに「舞台桜」と呼ばれる桜の古木があって、春に元善光寺にお参りに来た人が一緒に観て帰ることが多い。

 

この地は昔、麻績の里(おみのさと)と呼ばれていて、「舞台桜」の咲いているところから石段を登ると麻績神社、更にその裏山を登ると「座光寺南本城の遺構」を見ることができます。

 

「麻績の里 舞台桜」は、明治7年に建てられた旧座光寺小学校の講堂前の桜 で、推定樹齢350年とされる「半八重枝垂れ紅彼岸桜」と名前がつけられた、花びらの枚数が510枚と花ごとに違う珍しい桜で、全国ここでしか見られません。

 

桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿と言われますが、桜は切り口から腐りが入って樹を弱らせますが、

もっと樹を弱らせるのが根元の土を踏み固めてしまうことです。

人気の出た桜ですから見物客が多く、樹が弱ってしまったのですが、根元近くには入らないように保護したところ、元気を取り戻しました。

 

近年、この珍しい桜の本数を増やそうというので、旧小学校の校庭跡地で苗木を育てています。

このあたりは古墳跡も多く、 すぐ近くの一号古墳の上には、樹形が美しい「石塚の桜」もあります。

いずれも一本桜ですが、一本でも見応えがありますから、足を伸ばしてみると良いと思います。

近い将来、この地にニニアモーターカーの駅ができることになりました。

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自分が何の努力もしないで成功を修めることができるとは思いません。

しかし、人一倍励んでも結果として報われることは少ないようです。

その一方で、傍から見てさして一所懸命ではなさそうに見えるのに、やることなすこと巧くいってしまう人というのも確かに居ます。

ツボにはまれば、打ち込むことができる仕事に着いて、次から次へ頑張れる道が開けるようです。

 

物事が成功するとき、自分の力だけではないものが働いていることを否定できる人はいないと思います。いわゆる運といわれるものの加護のことです。

 

そのために常に綺麗にしておく必要があるところは、玄関・トイレ・机・身嗜み・洗面所等ですが、究極の場所があります。

 

自分は特別な才能・能力をもっているのに、いまいち正当な評価が得られていないと思っている人は多いのに、何故そんな境遇のままなのでしょう?

自分一人だけではなんともならないものが現にあるのに気付かないか、気づいてもそのように動かないからではないでしょうか。

風が吹いても、自分の花を咲かせる風ではないとしたら、惜し過ぎです。

 

気づけるようになるのに、できることは有ります。「頭で解ったつもりでいる」のと、どんなに小さくとも実際に体感して得ることとには、大きな差があるものです。

何でもそうですが、やってみると今まで見えなかったものが解ってくるものです。早くやれば良かったと、やった人は言います。

 

なぜ、自分で墓石クリーニングをすると良いのか 

「どうして墓石清掃をするのか」参照

 

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