もう済んでしまったことを、どんなに後悔したところで始まらない。
くよくよしても変えようがないのだけれど、誰もがこの後悔という軛から自由にはなれないようです。
でも、「ちょっと失敗しちゃったけれど、これで悪いものは出てきてしまったのだから、消えてお仕舞。」と割り切って拘りを捨てないと、精神が傷んでしまう。
心が傷つく影響は大きいから、無責任といわれようがお気楽といわれようが、後悔するのはほどほどにしたほうが良い。
同じように何ともならないのが、未来。
まだ起こってもいないことをあれこれ悩んでみても、どうにもならない。
不測の事態に備えをするのは大事だけれど、これからのことを悩んでいる人の大半は、ああなったらどうしようこうなったらどうしよう、ということであって、起こってからだって十分対処できることが殆どのようです。
変えられることできることというのは、現在目の前にあることしかない。昨年はやった言葉でいえば「今でしょう。」
自分がやらなければならないことというのは、質問してみると大抵自分で解っている人が多い。
でもやらない。
やらなければならないことの端っこの一部でも良いから、まずやってみる。
そうすることで糸がほぐれるようにどんどん物事が運ぶ。
そうです。体を動かしてみると、運も動いていくのです。
「運動」、言葉には持っている意味があるようです。
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