2017年6月12日月曜日

違法性は無いといいながら問題視するのが解らない

総理からの圧力だの(あったかどうかはかなり疑わしい)だの、忖度がどうのということばかりが問題視されているのを見ていて、かなりウンザリしている。
民主主義国家であり法治国家であるから、行政手続きがきちんととられていることは必要なのであろうが、国会でのやりとりを見ていると、規制緩和というのがいかに難しいのかということが良く判る。

既得権益というものを打破するのは、容易なことではなさそうである。
役所というのは、簡単には許認可を出さない仕組みになっている。
学校の設立や学部の新設がむやみになされることが無いようにするのはその通りなのかも知れないが、かになんでも何十年もそれができないでいるというのにも問題がありそうに思う。

野党は、躍起になって政局に結び付けたいらしいが、別の法案の審議をストップさせるための駆け引きに使っているように見えてならない。
この先の動きも、審議拒否だのを含め法案の審議不十分だとして強行採決だと叫びたいのであろうとしか読めない。
オーム真理教によるテロ事件の被害者の惨状を見るだけでも、テロは防がずばなるまい。
一般国民が警察から監視されるような犯罪行為に加担するなどということは凡そ考えにくいし、もし冤罪で逮捕されることを恐れるのであれば、法案全部を反対するのではなく、よりよい法にするためにはどうしたら良いとするのかの対案を出して審議を尽くすべきなのではなかろうか?
今の法制下では、テロを防ぐのは難しかろう。被害に会った時に大騒ぎするのは、いま反対している人たちなのではないのか?曰く「政府の対応が甘かった。」と。

学校問題も、獣医の養成が必要なのかどうか、以前から申請している四国愛媛は、長い折衝を経て1校だけがやっと文部省において了解されたのだとも聞くが、作るのが良いのか悪いのか、他の地域にもあった方がよいのかどうか、文部行政の在り方はこのままでいいのか、そういうことには一切触れないままで、入れ代わり立ち代わり大差のない質問を繰り返して時間を費やすのはやめてほしい。
規制をするなら、同じ質問は繰り返さないようにするということにして欲しいものである。


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