2017年6月23日金曜日

口にするのも憚られることではなくなってきた

憲法改正問題が取り沙汰されるようになってきた。
制定されてから何十年も経過すれば、実情に合わない事例が出てくるようになっても不思議はないし、かなり昔からそれを提案する人もいた。
諸外国における実情では、何回も改正した国が多いとも聞く。
主権国家であれば、国民の生命財産を守るのに適した憲法を持とうとするのは当然で、それを議論するのも罷りならぬというのでは、柔軟性を欠くように思える。

反対論者がよくつかうのは、憲法学者がこう言っているという手法であるが、それはそうであろう。現行憲法の解釈が仕事である学者は、反対するに決まっている。
しかし、学者の全てが反対するわけではなく、賛成する学者もいるから、感情的にならず、双方の意見を公平に扱うべきだと考える。

もし、改正ではなくて新たに憲法を制定するのだとしたら、賛成も反対もあるまい。国民全員が知恵を尽くしてよりよい法を得ようと議論を尽くすのではないのか?

学者の数は、国民のナンパーセントになるのだろう?
少なくとも、法を決めるのは学者ではないことは確かである。

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