5月5日の端午の節句は、男の子のお祝いをします。
外には鯉幟や吹き流しを立て、部屋の中には鎧兜や弓矢や刀、金太郎の人形などを飾り
ます。その他にも髭をぼうぼうに生やし恐い顔をした鍾馗様の人形も飾ります。
鍾馗様とはなんなのでしょう?
もともとは中国の唐の時代に実在した人物だと言われていて、どうして崇められるよう
になったのかという説話が残っています。
ある時、唐の6代目の皇帝であった玄宗が瘧(おこり、マラリア)という病気にかかり、
床に伏せってしまいました。
玄宗皇帝は、高熱のなかでうなされているときに夢を見ました。宮廷内で小鬼が悪戯を
して廻っていると、どこからともなく大鬼が現れて、小鬼を難なく捕えてて食べてしま
ったのです。玄宗皇帝が、大鬼に「あなたは何者なのですか。」と、その正体を尋ねると、
「自分は終南県出身の鍾馗という者です。官吏になるため科挙を受験したのですが落第
してしまったので、そのことを恥じて宮中で自殺してしまったのです。
けれども高祖皇帝が自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるためにやってきた
のです。」と告げました。
夢から覚めた玄宗皇帝は、病気が治っていることに気付きました。
感謝した玄宗皇帝は、著名な画家に命じて鍾馗の絵姿を描かせました。その絵の出来上
がりは素晴らしくて、玄宗皇帝が夢で見た通りの姿でした。
その話が日本にも伝わって、鍾馗を五月人形にしたり、近畿地方では魔除けとして鍾馗
像を屋根に置く風習が見られるようになりました。
京都市内の民家や商家などでは、現在でも大屋根や小屋根の軒先に、瓦製の鍾馗の人形
が置いてあるのを見かけることができます。
これは、京都の昔話に出てくるお話しとしても有名です。
昔京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を屋根に葺いたところ、向かいの扇家の住人が突如原因
不明の病に倒れてしまいました。薬屋の鬼瓦に跳ね返された百鬼という悪い妖怪たちが
向かいの家に入ったのが原因だと判り、百鬼より強い鍾馗を作らせて魔除けとして屋根
に据えたところ、住人の病が完治したのが謂れとされています。
日本人は昔から、人に優れた力を持つ人を尊敬し、特に優れた人は神様として祀りました。
それは、日本人であるかないか、宗教が違うかどうかなどということには関係ありません。
優れたものは素直に認め、それを尊敬し、それに肖ろう(あやかろう)としてきたのです。
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