2017年6月17日土曜日

どこを問題視しているのかが解らない漏洩文書

文部省からの漏洩文書について、野党とマスコミが大騒ぎし、さもさも疑惑隠しだとでもいわんばかりの報道の仕方もあるのか、国民が納得しないといっているらしいが、果たしてそうなのだろうか?
当初から、文書が存在したとしても、それに対して総理の違法性はないと、質問をした野党議員自身が言っていた問題でもある。
問題が起こったときの対応が悪かったことは確かだが、総理大臣が加計学園にしろなどという愚かなことを指示するわけがあるまいと、ちょっと物が判る人はそう思う。

会社の部署間の争いだって、社長の意向だと言ってものごとを有利に導こうとする担当者はいる。
ましてや、既得権を譲りたくない官庁の役人が、何かにつけて遅らせていた案件の進捗を図らねばならなくなったときに、庁内をまとめるときには最高レベルの意向だというくらいのことにはするに違いないと思っている。
それを確認するのが、在職中の次官という立場の人でだったのではないのか?
これまでにも政府(大臣)と意見を戦わせた次官は数多いと思うが、文部次官はそれをしなかったのではないのか。規制を盾に行政を歪めていたのは彼自身だったのではないのか。

獣医学部の新設問題が持ち上がってからの経緯というのは、すぐに調べることができる。
阿倍政権が始まる前から、加計学園の名前は出ている。
漏洩された文書が存在していたとしても、そこに違法性はないといわれているのに、筋が悪すぎて、政局に結びつけることは難しかろう。

印象操作が目的なのだとしたら、あざとすぎるように感じる。

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