気づくということは、「在る」ということの形をかえた意味を知ること。
そんな馬鹿な、と一笑に付して見過ごしてしまっていることに意味があるとしたら、それによって失ってしまっている機会が有りうる。
気づきというのは、ちょっとした取るに足りないと思えることであったり、やってみるのに意味が見いだせないと思えることであることが多い。
多分神様?は、ちっちゃなことでも素直にやるかどうかを最初に試してみて、次の段階に進めていいかどうかを判断しているように思えてならない。
神様に信じて貰えれば、次からは飛躍的になる。
自分が知り得ている表層的な知識が全てだと思はないで、その奥に存在する大いなる意味に意識を向けてみることが大切なのではなかろうか。
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