2013年5月4日土曜日

体育館座りを外でするのは


 会社近くに、県立高校の生徒さんが自発的に、ときどき歩道のごみを拾い集めて綺麗にしている通りがあります。

 その少し先にそれとは別に専門学校としての語学学校があります。休憩時間ともなるとぞろぞろ外に出てきて、通行人の迷惑なんのその、うんこずわりになって屯し、タバコを吸いまくるのであります。

 ゴミは、勿論投げ捨てです。学校の教職員はそれを知ってか知らずか、「通行人の邪魔にならないようにしなさい。」なんて注意をしているのを目にしたことは一度たりともありません。

 女生徒の方が割合としては多いので、鼻から煙を吐くさまが特に異様さを際立たせているのです。

 私の偏見かも知れませんが、タバコを吸っている姿が様になっている女性はまず居なくて、100人いればその99人は、下品としか言いようのない仕種をしているから、情けなさがいやますのであります。

 その道を更に進むと、車が頻繁に通る道路につながるのですが、あろうことかその車道をのろのろ歩いて一向に憚らない命知らずの通行人がかなりの数でいるのです。大抵は年配の人であるからより始末が悪いのです。

 ピアニストをしている息子が、昨年リサイタルのために帰国していた11月のこと、75周年の記念事業を兼ねた小学校のレクチャーコンサートに行って帰ってきての話しに、みんないい子で可愛いいったらなくて、二百人ほどいた生徒のほぼ全員と握手してきたという。ああいう子たちがいるから、日本の将来は明るいと笑っていたのを思い出す。

 手が命みたいな仕事をしているから、握手することには慎重な(強く握られて手を傷めてしまう可能性があるので)のにもかかわらず、寄って来る子供達と言葉を交わしながらの握手はとても楽しかったらしい。

 

 こういういい子達が年を重ねるに従い、マナーに反して平気という振る舞いをするようになっていってしまうとしたら、それはどこに問題があるのでしょう?一人ひとりのときは、とても良い子が多いのに。

 教養を積むことで徳目が高くなり、より素晴らしい人格が形成され、それが広く行われるということでなくてどうするというのか。

 なに?まず隗より始めよですと?

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