2017年5月2日火曜日

因・縁・果

因果応報
 おどろおどろしいタイトルですが、今日は、少しお勉強です。
因果応報とは、原因があって結果が生じるということです。

 因縁とか因果ということは、よく口にされますが、業というのもよく言われます。
 しかし、意味がわかって使っている人は殆どいないのではないかと思われます。

業とは、いうなれば「行為の結果生じた記憶」ともいうべきもので、過去世から現在に至るまでの経験から意識下無意識下に蓄えられたものです。
 圧倒的に無意識下のものが多いのですが、これら大量の業は、覚えているいないに拘わらず、根底の意識に一つ残らず記憶されているのだと言われています。
 記憶の仕組みは、因縁によるものに他ならず、因(原因)・縁(環境)・果(結果)の連鎖に従って起ります。

 因果というと、親の因果が子に報いなどのように、過去のあやまてる想念が苦悩となって現れることの方に多く使われますが、原因が環境を得て結果を齎すということであれば、善因ということだって当然のことながら在るわけで、善縁に巡り会い善果を得ることだってある筈ですから、悪い事ばかりだということではありません。
 ツキというのは、そんなあたりの全員の現れかも知れません。

 善縁(良い環境)というのは、何もしないでいて触れることができるわけではなく、身を浄めたり感謝をしたりなどなど、我が身ひとつだけではないことに気づかなくてはならないと思うのであります。誰が見ていなくても神様が見ていて下さるかも知れませんし、何より自分が知っています。
自分の内なる神様、すなわち潜在意識が時と場所を得て結果として表れるのだと知れば、身を慎むことに否も応もないということになりそうです。


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