2017年5月1日月曜日

価値観を共有することは大変

文化の違いをとやかく言っても始まらないが、感情的対立になってしまうことが合い。

食事の時に食器を手にもって食べるのを批難すれば、置いたままの食器に顔を近づけて食べるのは「イヌ食い」だと応酬されることになる。
マナーというのは、どちらが優雅で合理的かということだから、長い歴史に培われている。

友達になったら、自分のものも友人のものも挨拶なしに勝手に使うのが親しさの表れだとする習慣もあれば、親しき中にも節度を守って誰のものかは明確にするのが当たり前だとする文化もある。
上下関係に異常なこだわりを見せる文化もあれば、誰とでも公平なのだということで対等な立場でつきあう文化もある。
相手が嫌がることを好んでするくせに、自分は好かれていると思い込んでいるのは不思議である。

価値観を共有できないのであるから仕方がないのであるが、自分の価値観だけが絶対だと頑なに信じ込んで、それを一方的に押し付けて文句を言われても困る。
どちらが特異な文化なのかは、広く世界を見渡してみれば解ることであろう。

何を約束しても、約束を守らないというのも困る。
都合が悪くなると、全て悪いのは相手であると自分勝手な理由をこしらえて約束を破るのを恥とも思わない。
そのあとで本当に困ったことが起こると、厚顔にも平気ですり寄ってきて、「一度だけ許して下さい」というのだが、一度で済んだためしがない。
仏の顔も三度というが、信頼を得るには誠実さと長い努力がいる。
世界と仲良くしていくのは大変である。

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