2017年5月26日金曜日

童話「若い旅人とお爺さん」

むかし若い旅人がいました。
長い道を歩きつづけて、ようやくひとつの村にたどりつきました。
村の入り口に、ひとりのお爺さんが石の上に腰かけてひなたぼっこをしていました。
つかれきっていた若い旅人が、ぶっきらぼうなくちぶりで、お爺さんにたずねました。
「おじいさん、この村はどんな村ですか?」
おじいさんは、その若者にたずねかえしました。
「この前の村は、どんな村じゃったね?」
わかものがこたえました。
「この前の村は、やって欲しいことを何もやってくれないイジワルなむらでした。」
するとおじいさんは、「この村もまったく同じじゃよ。」といいました。

しばらくすると、ちがう若者がやってきました。
「おじいさん、こんにちは。この村はどんな村ですか?」と同じしつもんをしました。
おじいさんは、まえと同じように「この前の村は、どんな村じゃったね?」とききました。
「はい、おじいさん。ここにくる前の村はみなさん親切で、とてもきもちよく過ごすこ
とができました。」というと、
おじいさんは「おお、そうかね。この村も全くおなじじゃよ。」と、うれしそうにこたえ
ました。
なぜなのでしょう?「イジワル」と「親切」ではぜんぜんちがうのです。

じつはこのおじいさんは「気づきの神様」だったのです。
ものごとは、自分で気づくようにならなければなりません。人が教えてはくれません。
自分勝手なことを人にやってもらおうとしても、人はてだすけはしてくれません。
でも、自分ができることはなんでもして、人の役にたとうとおもって何かをやると、そ
の行いの大変さというのがわかるようになります。
それがわかると、人のやってくれることに、感謝のきもちを持つことができるようにな
ります。おたがいさま、という気持ちです。
気持ちがつうじあうと、信頼しあっておたがいが親切にできるようになります。
まず、わかるということからはじまります。

なかよくできるようになると、しあわせになれるのです。

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